山の友・突然の知らせ [仲間]
先日、昔の山仲間から突然のメールが届きました。Tさんというやはり山仲間が病気入院中で、かなり危険な状態とのことでした。早速電話で詳細を聞き、今度の日曜(6/15)に見舞いに行く旨を伝えました。ところが6/12の夜になって、たった今亡くなったという知らせを受けました
私はその昔、9年間ほど川崎市のある社会人山岳会に所属していました。遅れて入会したTさんは優しい人柄と関西人特有の明るさですっかり人気者になってしまいました。私もその人柄に魅かれ、個人山行でもよく付き合っていただきました。丹沢を離れて、'79/6に初めて那須の沢に入ったときのパートナーもTさんでした。白水沢や南沢を遡行し、緑に覆われた那須北部の山々の素晴らしさをこの時知りました。
'79/7には奥利根の狩小屋沢から入り、至仏山に達するというルートにも付き合っていただきました。
焚き火をしながらのビバークの翌朝、雨の山頂に立ちました。
尾瀬ヶ原に下りると雨も上がり、ニッコウキスゲは輝いて見えました
'79/12は日光湯元から入山し避難小屋に泊まった翌朝、奥白根山に登りました。そして雪の降る中、凍りついた弥陀ヶ池に下りました。神秘的な雰囲気でした。しかし初めてのルートで下山ルートを失ってしまいました。無理やりシリセードで樹林の中を滑り降り金精道路に降りたちました。そして閉鎖工事中の金精トンネルを潜らせてもらったのも懐かしい思い出です。
残念ながらこのときの写真は見つけられませんでした
私の独りよがりの山行にいつもニコニコして付き合ってくれる、楽しい人でもありました。
しかし逞しい一面を覗かせてくれることもありました。'81/11に涸沢から前穂の北尾根を目指したことがありました。
晴れていた空も尾根に上がる手前から急変し、霙と強風に見舞われました。ネガの保存状態が悪かったため、見難い画像で申し訳ありません<(__)>
途中のコルではツェルトの中で水浸しになりながらビバークしました。翌朝は寒さに震えながら行動を開始しました。しかし吹雪の3峰は無雪期とは一変していました。メンバーは3人でしたが2人が意気消沈する中、Tさんの行動は自信にあふれていました。おかげで萎えた気持ちを奮い立たせ登りきることができました。それからも睡魔と闘いながらの稜線は気が抜けませんでした。
前穂~奥穂を越えて涸沢近くまでたどり着くと、体調不良で待機していたmさんがが登ってきていました。しかしそのときのTさんはいつものモードに戻っていて、軽口をたたいてしまいました。一晩中心配していたmさんには堪らなかったのでしょう。涙声で怒鳴りつけられてしまいました
・・・とまさしく走馬灯のように想い出がよみがえってきました。
告別式は6/15と決まり、もちろん出かけてきました。昔の山仲間も駆けつけており、旧交を温めることが出来ました。焼香が終わり切花を添えるとき、苦しい闘病生活を感じさせない穏やかな顔をしていたことが慰めでした。
そして喪主の奥様の御好意で初七日の法要まで参列させていただきました。そのなかで私が会を離れた後の氏の活躍も知ることが出来ました。これまでに10数回フランスのシャモニーに出かけ、絵やクライミングを楽しんでいたということです。現地のガイドさんとも家族ぐるみの付き合いをされていたようで、やはり氏の人柄が偲ばれるエピソードでした。
病気は数年前に分かったのですが、病院と家族友人そして本人の努力により良好な経過をたどっていました。今年もフランス行きを楽しみにしていました。しかし今年に入り容態が急変して私の知るところとなりました。私より2つ年上でした。まだまだ若く、これからやりたい事も沢山有ったでしょう。ほんとに残念でなりません。これまで年賀のやり取りのみで近況を知ることもできず、力になれなかったことが悔やまれます
謹んでご冥福をお祈りいたします。
今年植えたブルーベリーの苗が花を咲かせ、大きな実をつけてくれました。葬儀の間中、悲しみを隠して明るく振舞っていた奥様でした。これから時間をかけて悲しみを乗り越え、また新たな一歩を踏み出していただきたいと思います。
私はその昔、9年間ほど川崎市のある社会人山岳会に所属していました。遅れて入会したTさんは優しい人柄と関西人特有の明るさですっかり人気者になってしまいました。私もその人柄に魅かれ、個人山行でもよく付き合っていただきました。丹沢を離れて、'79/6に初めて那須の沢に入ったときのパートナーもTさんでした。白水沢や南沢を遡行し、緑に覆われた那須北部の山々の素晴らしさをこの時知りました。
'79/7には奥利根の狩小屋沢から入り、至仏山に達するというルートにも付き合っていただきました。
焚き火をしながらのビバークの翌朝、雨の山頂に立ちました。
尾瀬ヶ原に下りると雨も上がり、ニッコウキスゲは輝いて見えました
'79/12は日光湯元から入山し避難小屋に泊まった翌朝、奥白根山に登りました。そして雪の降る中、凍りついた弥陀ヶ池に下りました。神秘的な雰囲気でした。しかし初めてのルートで下山ルートを失ってしまいました。無理やりシリセードで樹林の中を滑り降り金精道路に降りたちました。そして閉鎖工事中の金精トンネルを潜らせてもらったのも懐かしい思い出です。
残念ながらこのときの写真は見つけられませんでした
私の独りよがりの山行にいつもニコニコして付き合ってくれる、楽しい人でもありました。
しかし逞しい一面を覗かせてくれることもありました。'81/11に涸沢から前穂の北尾根を目指したことがありました。
晴れていた空も尾根に上がる手前から急変し、霙と強風に見舞われました。ネガの保存状態が悪かったため、見難い画像で申し訳ありません<(__)>
途中のコルではツェルトの中で水浸しになりながらビバークしました。翌朝は寒さに震えながら行動を開始しました。しかし吹雪の3峰は無雪期とは一変していました。メンバーは3人でしたが2人が意気消沈する中、Tさんの行動は自信にあふれていました。おかげで萎えた気持ちを奮い立たせ登りきることができました。それからも睡魔と闘いながらの稜線は気が抜けませんでした。
前穂~奥穂を越えて涸沢近くまでたどり着くと、体調不良で待機していたmさんがが登ってきていました。しかしそのときのTさんはいつものモードに戻っていて、軽口をたたいてしまいました。一晩中心配していたmさんには堪らなかったのでしょう。涙声で怒鳴りつけられてしまいました
・・・とまさしく走馬灯のように想い出がよみがえってきました。
告別式は6/15と決まり、もちろん出かけてきました。昔の山仲間も駆けつけており、旧交を温めることが出来ました。焼香が終わり切花を添えるとき、苦しい闘病生活を感じさせない穏やかな顔をしていたことが慰めでした。
そして喪主の奥様の御好意で初七日の法要まで参列させていただきました。そのなかで私が会を離れた後の氏の活躍も知ることが出来ました。これまでに10数回フランスのシャモニーに出かけ、絵やクライミングを楽しんでいたということです。現地のガイドさんとも家族ぐるみの付き合いをされていたようで、やはり氏の人柄が偲ばれるエピソードでした。
病気は数年前に分かったのですが、病院と家族友人そして本人の努力により良好な経過をたどっていました。今年もフランス行きを楽しみにしていました。しかし今年に入り容態が急変して私の知るところとなりました。私より2つ年上でした。まだまだ若く、これからやりたい事も沢山有ったでしょう。ほんとに残念でなりません。これまで年賀のやり取りのみで近況を知ることもできず、力になれなかったことが悔やまれます
謹んでご冥福をお祈りいたします。
今年植えたブルーベリーの苗が花を咲かせ、大きな実をつけてくれました。葬儀の間中、悲しみを隠して明るく振舞っていた奥様でした。これから時間をかけて悲しみを乗り越え、また新たな一歩を踏み出していただきたいと思います。
2014-06-19 22:39
コメント(15)
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なんと申し上げてよいのか・・・
Tさんのご冥福を心からお祈りいたします。
by よしころん (2014-06-20 06:04)
おはようございますーー
親や兄弟、そして友人の死は自分の過去も葬り去りますね。とても寂しいことです。
だんだん語り合う仲間が少なくなっていく。大変淋しいことですがいたしかたありません。
ご友人のご冥福をお祈り申し上げます。
by mimimomo (2014-06-20 08:20)
思い出深い山友、いろいろな事が走馬燈のように巡り、寂しくなりますね。Tさんのご冥福をお祈り申し上げます。
by g_g (2014-06-20 08:40)
山仲間であるご友人Tさんのご冥福を願っております。
ご一緒された想い出等々尽きることなく甦ってきたと察します。 ご本人もまだまだこれからという時に亡くなられたのは、残念で寂しいですね。 私も最近感じます。 与えられた時間を悔いなく過せれればと。
by Jetstream (2014-06-20 11:37)
たくさんの思い出があって良かったですね。
悲しい別れが多くなる年齢でもありますが
思い出は宝となりますね。
ご冥福をお祈りします。
by nousagi (2014-06-20 17:18)
ご友人のご冥福をお祈り申し上げます。
前穂の北尾根の登山、壮絶ですね。
by joyclimb (2014-06-20 20:34)
これから何度も思い出して、記憶のなかに生き続けてもらいましょう。私もネットで知り合った山友さんを失いましたが、これからも忘れないと思います。
by 低山 (2014-06-21 15:44)
幼馴染や友人の突然の死、本当に悲しいですよね。
私もいろんな思い出が蘇りました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
by ため息の午後 (2014-06-21 21:52)
皆さん、コメントありがとうございます。
特に思い出の多い友だったため追悼の意味をこめて作成しました。
よしころんさん
ありがとうございます。
ほんとに残念なことでした。
私もいまだに信じたくありません。
mimimomoさん
ありがとうございます。
>だんだん語り合う仲間が少なくなっていく
確かにそうですがまだ早すぎます。
突然だっただけになおさらでした。
g_gさん
ありがとうございます。
ほんとに色々な思い出がありました。
一気によみがえってきました。
Jetstreamさん
ありがとうございます。
>まだまだこれからという時に亡くなられたのは、残念で寂しいですね。
その通りと思います。やりたかったことが沢山あったと思います。
>与えられた時間を悔いなく過せれればと
そうしたいですね。現実はなかなか厳しいですが(私の独り言です)
nousagiさん
ありがとうございます。
>たくさんの思い出があって良かったですね。
ほんとにいろんな事がありました。
確かにそれが宝になると思います。
joyclimbさん
ありがとうございます。
>前穂の北尾根の登山、壮絶ですね。
装備不足当の理由はありましたが、私にとっては一番厳しい登山でした。
低山さん
ありがとうございます。
>記憶のなかに生き続けてもらいましょう。
山仲間にも私もいつまでも忘れないようにしたいと思い、この記事を作成しました。
ため息の午後さん
ありがとうございます。
突然すぎるほどいろんな思い出が蘇るものかもしれませんね。
ほんとに残念でした。
by tochimochi (2014-06-21 23:11)
拝見していて、胸がいっぱいになりました。
淡々とした記述の中に、tochimochiさんの悲しみが溢れていて、私も思わず涙を流してしまいました。
まだまだこれからたくさんなさりたいことがおありでしたでしょうに、誠に残念です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
5年前、私も山の大先輩を膵臓がんで失いました。
葬儀は先輩の故郷の大分でしたが、所属していた山岳会に分骨がなされ、山の仲間の絆の強さに改めて感じ入ったものです。
その折のことを思い出してしまいました。
by 伊閣蝶 (2014-06-22 00:04)
ご冥福をお祈りします
友との思い出 大切にしたいなぁと思いました
by (。・_・。)2k (2014-06-22 00:24)
ご冥福をこころより申し上げます。
これは悲しいことですよね。
思いでは消えることがありませんね。
山の思い出の写真に涙していまいました。
特にこの北尾根の思い出は尽きないでしょう。
まだ行ってことがない、この尾根。
無雪期に行きたいと思っています。
ひろたんもきっと思い出してしまいそう!
この写真を。。
お祈り致します。
by ひろたん (2014-06-22 09:08)
山仲間は、一般の友人とはやはりきずながの太さ違うような気がします。
心を許し会える大事なパートナーですからね。
心中をお察し申し上げ、友人のご冥福をお祈り致します。
by drumusuko (2014-06-22 12:32)
ロープで繋がり生死の境を切り抜けてきた仲間の死は特に御辛いでしょうね。
ご冥福をお祈りします。
by CARRERA (2014-06-22 12:41)
伊閣蝶さん
ありがとうございます。
拙文ですが気持ちを汲んでいただき嬉しいです。
私も残念ですが本人が一番無念だったと思います。
伊閣蝶さんも同様の経験がおありでしたか。
辛かったでしょうね。
そしてやはり山仲間の絆は強いですね。
(。・_・。)2kさん
ありがとうございます。
辛い別れになるほど思い出が大切になりますね。
ひろたんさん
ありがとうございます。
写真が残っていると思い出が鮮明に蘇ってきますね。
残っていてよかったです。
北尾根に行かれるんですね。
無雪期なら快適なバリエーションとなると思います。
頑張ってください。
そして出来れば思い出してください。
drumusukoさん
ありがとうございます。
絆は山仲間に限らずどれだけの信頼、想いでがあるかによるのだと思います。
心を許しあえる友でした。
CARRERAさん
ありがとうございます。
そこまで危険な山行をしていたわけではありませんが、色々な事がありました。
ほんとに得がたい山仲間でした。
by tochimochi (2014-06-22 18:03)