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ちょっと遊んでみました。 [記録]

寒く[雪]なったり暖かく[晴れ]なったりで着実に春は近づいています。そろそろ花も咲き出して、山には絶好のシーズンなのですが先日痛めた足が心配です。
ほぼ痛みはなくなったのですが、ちょっと負荷がかかると違和感があります。あまり病院には行かない私ですが、意を決して[ちっ(怒った顔)]整形に行ってみました。レントゲン写真を見て先生曰く、『肉離れの不全断裂ですね。内出血も無いので軽度の部類です。でも今は表面的に断裂部がくっついているだけなので運動は一ヶ月は控えなければいけません』 [がく~(落胆した顔)]
というわけで不本意ながら失意の日々[もうやだ~(悲しい顔)]を送って・・・いる訳にも行かないので、この機会にJさんが紹介していた『Google EarthへのGPSログ貼り付け[位置情報]を試してみることにしました。初めは3D表示の仕方が分かりませんでしたが、試行錯誤しているうちにうまく行きました[ひらめき]

1番目は私のお気に入りである古賀志山です。中尾根から西の松島を経てローソク岩を登り、獅子落しの景観を眺めて下りるという変化に富んだコースです。この山は春になるとカタクリやニリンソウなどいろんな花[かわいい]が咲きます。それを過ぎるとヤシオツツジ、さらにヒカゲツツジも見られます。

古賀志山・中尾根獅子落し
古賀志山・中尾根~獅子落し.jpg

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足尾の足跡 [記録]

訪問させていただいているブログ記事にも、バリエーションや藪山という言葉が普通に出てくるようになりました。実は私もかつては藪山を目指したことがあったのです。と言っても本格的な藪漕ぎは辛い[もうやだ~(悲しい顔)]だけです。探検登山的な山行の延長として、途中に藪があればいいかなという程度でした。ただ当時はインターネットなるものはまだなく、情報源といえば山渓、岳人等の山岳雑誌や数少ない記録文献のみでした。悲しいかな、根っからの小心者には未知の尾根に取り付いていく勇気はありませんでした[ふらふら]

そんな時、原始の趣きを残す山として足尾のことを知りました。そのまた昔には公害の原点としての足尾に関心を持ったこともあり、俄然行ってみたい山となりました [目]
折りしも沢登りルート図集も出版され、皇海山への登路があることを知りました。ここでやっと不安から確信らしきものが芽生えてきたのでした[るんるん]昔の山行で恐縮ですが、平ヶ岳とともに想い出の残る山として記録をまとめることにしました。今までの足跡を地図にもまとめました。なお興味を持った方は『平ヶ岳・回想のルート』もご覧いただければうれしいです。

1回目の足尾入りは'80年の5月末、泙川水系の小田倉沢から皇海山に登りました。地図の①+②+③のルートです。
1日目は沼田駅から鎌田行きのバスを追貝で下車し、林道を延々と歩いて[ダッシュ(走り出すさま)][あせあせ(飛び散る汗)]沢に入りました。最初はナメが続いていましたが、いきなりこんな滝がでてきました[がく~(落胆した顔)]さてどちら側を登ったでしょうか。
1.1.JPG

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平ヶ岳・回想のルート [記録]

秋雨前線が去ったと思ったら今度は台風、山に行けない状態が続いています[もうやだ~(悲しい顔)]この機会に私の山の原点と称している平ヶ岳について回想してみたいと思いました。今までの足跡を地図にも記しました。ご笑覧いただければうれしいです。
そもそもこの山を知ったのは西丸震哉氏の『山歩き山暮らし』を読んだことがきっかけでした。氏は無類の探検好きで、大部分が入山禁止になる前の尾瀬にも多くの足跡を残しています。この本の1節に『大草原のある山頂』があります。これが平ヶ岳で、読んだとたんにその魅力に憑りつかれました[ぴかぴか(新しい)]

'80年の8月、行く機会がやってきました。登路は氏の足跡を辿り、奥利根から水長沢を遡行して山頂を目指すことにしました。地図の①+②のルートです。
1日目は八木沢ダムから奥利根湖の湖岸道を延々と水長沢出会いまで歩きました。ただし氏の歩いたときから年月も経過して、ダムは湖岸道を飲み込んでしまっています。後半は廃道化して踏跡もなくなっており、だいぶ苦労しました[ふらふら]
それでも焚き火を起こし、花火などをして楽しみました。
花火.jpg

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追憶の写真 [記録]

今は梅雨の最中、山には行きにくい季節です[雨]ふと昔の山の写真を整理することを思いつきました。
何しろ銀塩フィルム時代のネガがかなり溜まっているのです。そのままにしておくとどんどん変色、退色が進んでいくでしょう。フィルムスキャナーを購入してディジタル化することにしました。
スキャンしていくと変色が進んでいるものがあり、黄色いシミとなっているのもかなりありました。アルコールでふき取ろうとしても取れません。これは悲しいです[もうやだ~(悲しい顔)]
でも見ていると一枚、一枚に懐かしさが募ってきます。その中の数枚を紹介して手抜き記事にしました。
よろしければお付き合いください。
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東日本巨大地震・体験記 [記録]

3/11の東日本巨大地震では犠牲者の方々に深く哀悼の意を表します。[もうやだ~(悲しい顔)]
また被災者の方々も大変なご苦労をされていることと思います。
私も地震の翌日、実家のある茨城に行ってきました。宮城、岩手などの被害とは比べものになりませんが、ここも大きな影響を受けていました。また津波は日立港にも押し寄せ、千数百台の車が被害に遭いました。
ここに記録のために体験記を綴ることにします。

地震直後から停電、断水が続いており、店は全て休業状態です。コンビニだけは照明も無い中で営業をしており、食糧を買い求める方たちが行列をなしていました。私も並んで店内に入り、菓子、飲料を買い求めました。
栃木より茨城のほうが影響は大きかったようで、ブロック塀の倒壊や屋根瓦の崩落等、かつてニュースで見た光景に愕然としました。[がく~(落胆した顔)]
ブロック塀.JPG

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